石フィルHPの新連載「音楽コラム」に、口火を切って投稿して下さい!と管理人さまからのリクエストがあり、文才などとは全く無縁の私めがそのような僭越な真似をしてもよいものかと一瞬悩みましたが、何とかなるワイと案外気楽に引き受けた次第であります。次はこれを読んでいるアナタの番かもしれません。
さて折角なので、私めの自己紹介を致します。姓はハナモト、名はコウジ、人呼んで(実は自分しか呼ばない)「リッカルド・はなムーティ」と申します。生まれも育ちも、多分死ぬのも金沢で、生後約1年間は片町のど真ん中で生活していたというシティボーイなのであります。
小学生時代は、ご多分に漏れず「巨人の星」に感化されて朝から晩まで草野球に夢中でしたが、一方でリコーダーにも開眼し、校内発表会でアルルの女の「メヌエット(フルートの名曲です)」を吹いたりもしました。さらに、おじゃみ(これ方言ですか? お手玉の事ですが…)が得意だという意外な一面も見せておりました。中学校へ入学して迷わず吹奏楽部へ入りましたが、三年生の先輩に「お前は体が大きいのでバス(チューバのこと)をやれ」という一言で私のその後の運命は決まりました。当時の金沢市立紫錦台中学校は県下でも屈指のブラスの実力校でしたので、顧問の先生はじめ周りの上手な先輩や同級生に刺激されとても良い環境で感性を磨く事が出来たと思います。
さて、今回定期演奏会で取り上げるショスタコービッチの交響曲第五番は、ちょうどブラスに熱中していたそのころにはじめて知りました。当時の吹奏楽コンクールで自由曲として第四楽章を演奏する団体がいくつかあったためです。時間的にも適当だし、最初と最後が行け行けドンドンだし(特にティンパニ)、中間にホルンのソロなど緩徐部分があって音楽的なメリハリがあるという点でもコンクールに向いている曲だと思います。ただし、交響曲というのは第一楽章が始まって第四楽章が終わるまでが一つの曲ですから、第四楽章だけを演奏するというブラスのアプローチは、いろんな事情があるにせよ曲を正しく理解できるかどうかという点ではちょっと疑問です。この曲も、特に第三楽章などは非常に叙情的で第四楽章の喧騒からは想像できないようなところがありますし、オーケストラで全曲演奏できることの意味を考えながらしっかりと演奏したいものだと思います(吹奏楽関係者の皆さんごめんなさい)。
もう少しこの交響曲に関してコメントするならば、曲のあちこちにプロコフィエフとかマーラーの影響が出ていると思います。ショスタコービッチがこの曲を作っていた時代はようやく西側の音楽がソビエトに入ってきた頃で、目新しいマーラーの音楽も天才と呼ばれた彼は自分自身のものと上手く融合させることができたのではないかという気がします。また、ピアノやチェレスタを使ったり、普通は2パートのバイオリンを3パートに分けたり(第三楽章)と、当時としてはかなり斬新なこともしています。
定期演奏会は4月8日ですが、練習期間はちょうど真冬のこの時期。ロシアの音楽を演奏するにはもってこいかもしれません。ただし、外は寒くても演奏は熱いものにしたいですね。